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・船穂マスカット栽培の歴史
・テロワールって何?
■ マスカット・オブ・アレキサンドリアそれは、まるで宝石のようなくだもの
かのクレオパトラも愛したというマスカット・オブ・アレキサンドリアは、その姿の美しさ、爽やかな色合い、麝香の気品ある香り、濃厚な味わい―、すべてにおいて魅力的なぶどうです。2,000年前から栽培されているというのですから、それはどんな時代の人々にも愛されてきた、その証しと言えるでしょう。
■ その魅力に取り憑かれた私たち
船穂町では、栽培を明治19年より手がけ、以来110余年。
本当においしいマスカット・オブ・アレキサンドリアを食べていただきたい―。その気持ちひとつで手間を惜しまず大切に育てた船穂町のマスカット・オブ・アレキサンドリア。今や、その品質はどこに出しても遜色なしであると自負しております。
そして私たちは、「この自慢のマスカット・オブ・アレキサンドリアを季節以外にも味わって欲しい。」そんな夢を持ちました。ならば、ワインにマスカット・オブ・アレキサンドリアの美しさ、香り、味。そのまま封じ込めることができたら―。
■ 船穂のマスカットワインの誕生
ほんとうにおいしいマスカット・オブ・アレキサンドリアワインを作るために、私たちは試行錯誤を繰り返し研究を重ねました。
船穂町産のマスカット・オブ・アレキサンドリアのみを原料とし、その気品ある味をそのまま活かすために、工程のひとつひとつに惜しみなく手をかける。それが私たちのお届けするワインです。
■ そして、未来へとつなぐ
ワインづくりには、上質のぶどうとワインづくりにかける情熱が欠かせないと言います。ここ船穂町には上質なぶどうはふんだんにあります。そしてこのマスカット・オブ・アレキサンドリアを最上級においしいワインに作り上げる情熱もまた、尽きることはありません。
私たちは、これからもよりよいワインを作り続けてまいります。


ワインの個性が形づくられる  
みなさんはテロワールという言葉を耳にしたことはありますか。

ワインに興味を持ちはじめると出会う言葉のひとつでしょう。通常ぶどう畑の土壌や気候など、土地固有の個性、土地の持つ力と訳されますが、広くは人や歴史なども含めたそのワインを取り巻くすべてを指しているともいいます。
今では全国の約4割の加温マスカットを生産している船穂町ですが、もともと雨の多い日本ではマスカットの栽培は不向きなものでした。雨はぶどうに病気を呼ぶからです。しかし先人は平棚仕立て、ハウス加温栽培など独自の手法を生み出し幾度も改良を加え、健康で味わい深く美しいマスカットの収穫に成功したのです。それは温暖で雨が少なくマスカット栽培に比較的適性のある船穂町にあっても、マスカットづくりが根付くために必要な苦難の歴史であったのです。そして今、船穂町のマスカット・オブ・アレキサンドリアはワインへと変化を遂げる道をも得ました。

ここではより上質なワインに仕込むべく、樹上で完熟させての遅摘みをしています。充分な糖度を得、種までの完熟が芳醇な香りを放つことで、ようやく収穫のときを迎えるのです。
ワイナリーでは、この船穂町のマスカットを最大限活かすためのこだわりを持ってワインへと仕込みます。



船穂マスカット栽培の歴史
■ 栽培の開始
 船穂町にブドウが植え付けられたのは、明治26年(1893)。西阿知片島(現在の倉敷市西阿知)の中原有昇氏が堅盤谷地区梅山に移住して、桃、梨、梅、ブドウ等を栽培したのが始まりで、白水園と称し船穂町果樹園芸の始祖です。ブドウの品種はカトーバでした。当時倉敷など近くに市場がなく、岡山内山下の市場へカゴに入れ人にかつがせ出荷していました。
 明治40年(1907)頃、中原有昇氏宅跡に諏訪悦造氏が住みブドウ栽培に励みました。この頃、北谷地区の井木伊三郎氏、井木次郎吉氏なども里木貝塚あたりにブドウ(カトーバ、後キャンベル)を植え付けました。三人で神戸市場へ出荷したこともありましたが、栽培技術が未熟で増殖されず次第に廃園となりました。
 明治末期に始まったキャンベルブドウも、栽培技術未熟のためやむなく挫折したのですが、大正11年(1922)、中山地区で八王子在(現在の大阪府池田市)からキャンベル・アリーの苗を買い栽培を始めました。この苗から初めて実をつけたのは大正13年。日照り続きにも関わらず、果汁十分で味もよく、このことが基となって、中山、北谷、千行、平石地区でキャンベル・アリーの栽培が行われるようになりました。その頃のキャンベル・アリーの値段は一貫(かん)目(3.75kg)25銭から30銭位でした。(注:当時米一石(150kg) 43銭)
 デラウェアは大正13年頃(1924)、中山地区で栽培を始めました。この頃から船穂中随所に養蚕を止めてのブドウ栽培が始まりました。当時は販売組織がなく、倉敷の市場ヘブドウを売りに行くには、ブドウを小さいリヤカーに乗せて朝3時に我が家を出て高梁川の又串波止場に行き、お互いに助け合いながら土手や船の乗せ降ろしなどして倉敷へ歩いて通っていました。
 ネオ・マスカットは昭和9年(1934)、北谷地区で最初に新植しました。昭和11年に初めて着房し倉敷市場へ出荷、−貫四房くらいで一円の高値で売れました。普通キャンベルはニ貫が50銭から60銭の時でした。(注:当時米一石(150kg)36銭)
■ 戦後のマスカット栽培
 昭和12年(1937)以降の戦時中は、一時食糧増産のためブドウ園は甘藷、麦類に転換されましたが、戦後の昭和22年(1947)に、船穂町園芸協会が設立されるに及んで、増反の気運があがり、飛躍的に栽培が増えました。キャンベル・アリー、デラウェア、スーパー・ハンブルグ、マスカット・ベー リーA、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ネオ・マスカットと、数品種が組み合わされ、平成12年(2000)現在での栽培面積は露地ブドウ27ha、温室ブドウ26haとなっております。
■ 温室ブドウの導入
 温室ブドウは、昭和26年(1951)に導入。北谷地区の生産者3名の硝子室の建築に伴って始まりました。昭和31年(1956)に加湿栽培に切り替え、同39年(1964)から41年(1966)に農業構造改善事業を導入し、温室ブドウの栽培面積を倍増させるとともに農道が拡充整備されました。
 昭和42年(1967)に、備南畑かん事業の完工によって果樹地の潅水、また、この水により定置配管による共同防除施設の活用などで、果樹栽培の省力化と優品の生産が容易になりました。今日、県内屈指の加温温室ブドウの町として、不動の地位を築いています。
 そのゆえんはとりもなおさす優秀な先覚者たちの身命を賭した栽培技術の研究、後進を誘導した努力があったのです。

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